こんにちは!
アフィリエイターの『えば』と申します。
私は九州に住む40代主婦です。

 

現在アフィリエイトの収入だけで
月収40万ほど稼いでいます。

2年前に正社員の仕事を脱サラし

ずっと夢だった在宅ワークを実現したのです!

 

それは
私の人生をかけた挑戦でもありました。

 

“人生をかけた挑戦”

 

あなたはこんなお悩みありませんか?

 

 

「今の生活がこれから先もずっと続くのか…」

「給料は上がる見込みもないし、将来を思うと不安ばかり…」

「人生を変えたい!でもどうすればいいんだろう」

「自分には発揮できていない才能があるんじゃないか」

「夢みたいな大きな報酬を私も稼ぎ出したい!」

 

私はこの悩みを全てもっていました。

そして今、
この悩みがすべて解消できました。

 

こんな悩みがあった方にはぜひ
私がその悩みをどうやって突破できたのか、読んで欲しいです。

 

私「えば」は、一見普通の主婦アフィリエイターに見えるかもしれませんが、

かなり波乱万丈の人生を過ごし、どうにかその逆境を乗り越えたいと進んできた過去があります。

長いのですが、何か少しでも心に感じてもらえれば、とてもうれしいです。(*^^*)

 

教育費や住宅ローンも抱えて脱サラ!

家族は夫と子供が3人います。
子供は高校生・中学生です。

高額な教育費・・・

さらに住宅ローンも返済中・・・

 

そんな状況の中で脱サラなんて
暴挙としか言いようがありませんよね。

 

覚悟をもった暴挙は成功する!

 

インターネットを使って仕事をする。

それは大きな勇気と挑戦でした。

 

でも本気で今の苦しい現状を変えたいと思っていたのです。

私は病院の部長職をしていたんですが、月収は15万円しかありませんでした。

 

退職した今、ブログに記事を書く仕事に変えてから
月収30万以上稼げるようになりました。

病院の部長職だった時の2倍近くの収入を自分で新たに学んだスキルによって生み出せるようになったのです!

 

 

主婦が家で稼ぐことの幸せとは

主婦が今よりもっとお金を稼ぎたいと思う理由は“健気”なものです。

お金はツールであり

本当に欲しいのは自由

 

  • 家事がゆっくりできる
  • 頑張った分だけ収入は増える
  • 人間関係のストレスがなくなる
  • 子供や学校などの用事にいつでも行ける
  • 親や兄弟の手助けができる
  • 家族のしたい事ができるように
  • 欲しかった自分の物も買えるように

 

アフィリエイトで稼げるようになった今

過去の自分からすれば
夢のような生活が実現しました。

 

では、
私『えば』の人生をご紹介します。

 

ハングリー精神を生んだ生い立ち

 

私は裕福ではない家に生まれました。

3姉妹の次女ですが、姉妹でも私だけまだ赤ちゃんとも言える1歳の頃から祖父と一緒に寝ていました。

 

1歳から祖父(以下じいちゃん)が亡くなる小学2年生まで、私はじいちゃんの離れの部屋で2人で寝ていました。
その時の原風景が今も思い出されます。

じいちゃんは私をとても可愛がってくれて、私もそんなじいちゃんが大好きでした。

その後の人生で、とても辛いことがあるたびにじいちゃんを思い出します。

 

祖父が教えてくれた読書の楽しさ

 

そのじいちゃんが私に教えてくれた財産がありました。

 

それは『読書の楽しさ』です。

 

一緒に寝る事になった1歳の時から、毎晩毎晩じいちゃんに本を読んでもらいました。

そのおかげで、私は”本を読むことが大好き”な子供になりました。

 

ちょっと余談ですが、
じいちゃんが亡くなった時、小学2年生だった私がもらった遺品があります。

 

右:読んでもらっていた本
(絵本ではなく本でした)

左:祖父が使っていた小さい金庫
(アンティークっぽくて好きです♪
今は私が使っています)

 

幼少期の試練

小学2年生の時にじいちゃんが亡くなりました。

その後は母屋の両親や姉妹と一緒に寝るようになったのですが、その時から私の人生の試練が始まりました。

私の父親は、仕事人間ですが、仕事や人間関係のストレスをお酒で解消し、時には母に暴力をふるうこともありました。

 

幼少期に祖父と一緒に寝ていた私は、子供時代の途中からそんな父が酔って怒鳴ったりする恐怖を味わうことになったのです。

 

小学校高学年ごろ小学校にいる昼間にも『夜、お父さんが飲んで帰らないといいな~』と不安になっていました。

すんなり帰ってきたり、晩酌を早めに終えたりする日はホッとしていました。

また、運動会や遠足など子供にとっては楽しいイベントの前日に、父は決まって飲んで騒ぐので、私はそんな楽しいイベントも心から楽しめない、無邪気に笑えない子供だった気がします。

 

赤ちゃんの頃から祖父と寝ていた私には最初から免疫がなく、大人の男性が暴れるという恐怖を目の当たりにするうち「精神が崩壊しかけそうに」なっていました。

ただ、興奮している父に冷静になって欲しくて、父が少しでも落ち着くような声掛けを子供ながらに考えて、がんばってしていました。

 

私を救ってくれたのは『本』だった

 

そんな子供時代に、一筋の光となり
辛い現実から解放してくれたのが、祖父が楽しさを教えてくれた『読書』だったのです。

小学生時代が一番沢山の本を読みました。

現実逃避もあっただろうし、本の中の世界に入るとワクワクするのです!

 

国内外の有名な小説から、その時流行った物語、そして偉人の伝記(苦労が報われ幸せに成功するストーリー)など、
本から感覚的に学んだ知識・思考・世界観があったと思います。

 

自分の境遇からの脱却

私は、自分が生まれた家や育った環境がそんな風だったので、
「どうせ私なんて・・・」と卑屈に思っていました。

精神も病みかけていましたし。

ですが、その一方で、

 

  • 小6の時に水泳大会で表彰される
  • 中1の時にモテ期が!w
  • 中1の時に学年トップクラスの成績をとる
  • 歌が上手いと親戚の前で歌わされる
  • 地元では一番の進学校へ合格

という経験があり
それまで自分が絶対的にもっていた
「どうせ私なんて・・・」という
ネガティブな考え方が少しずつ変わっていったのです。

 

まさに向上心を培うマインド『自己肯定感』を子供ながらも増やしていったのかもしれません。

人生を歩む中で、環境によって性格が変化すると思うんですが、人より勝った経験をすることが前向きな性格になるために大事だそうです。

 

これは子育てする上でとても重要で、子供に経験させた方がいい“教育哲学の考え方”でもあります。

 

子供の頃に、何でもいいので1番になる経験をさせる、栄光を経験させることで「自分ってスゴイ人間なんじゃないか!?」という自己肯定感が持てるようになるのです。

 

親になった時にこの本を読んで、その哲学を知りました。

この本では『帝王学』と表現されていました。
↓↓↓

年収2000万稼ぐ子供の育て方

本で偉人たちの伝記も沢山読んでいたので

「人生は逆境の中でも自分しだいで成功をつかむことができるんじゃないか!?」

という希望を持つようになっていきました。

 

短大の学費は全額自分で稼ぐ

高校は進学校へ入学したので、高校3年生の進路を決める時に学費も比較的安い「短大へ行きたい」と希望しました。

そして親にお願いしました。

しかし、九州男児で頑固な父親が「短大に行ってどうする!行かんでいい」と反対したのです。

私の将来は高卒で田舎暮らし・・・

 

しかし奇跡が!!

その時、たまたま来ていた叔父(父の弟)が

「自分の経営している中国料理店で住み込みで夜バイトしながら学費を稼いで行くか?」
と言ってくれたのです。

 

その叔父の提案があって、
“短大へ進学”という道が切り開かれました!

 

もし、その会話をしていた時に叔父が来てなかったら・・・

そう思うと、
「もしかして亡き祖父の働きかけがあったんじゃないか…」
と思わずにはいられません。

 

短大時代のハードなバイト生活

 

そんな救いの手があって、私は短大へ進学し、叔父家族との同居&バイト生活が始まりました。

叔父夫婦の経営する中国料理店は持ちビルがあって、私はそのビルの1室を電気光熱費は自分で払うという条件はありましたが、間借りさせてもらえました。

2年間の短大生活は

日中: 短大で勉強
夕方~夜11時: 毎晩お店でバイト
夜12時~: 課題のレポート作成

というハードスケジュールでした。

 

短大にかかる学費は全額、自分のバイト代で払いました。

短大の友達が、街へ買い物・彼氏・合コン・旅行・・・と楽しんでいるのを見ながら、私は授業が終わると一番に講堂を出て、夜の部のお店が開店する夕方5時に間に合うようにダッシュで帰っていました。

 

仕事の基本と厳しさを学ぶ

 

お店は、
叔父がオーナー(料理長・社長)で
叔母がホール・経理・従業員の取りまとめをしていました。

その叔母が親戚でも一番と言っていいほどものすごーく厳しい女性で(>_<)

姪の私には従業員の中でも一番厳しくされ、バイトが終わって部屋に帰るとこらえていた涙が溢れてくることが何度もありました。

でも、その叔母やこのバイト生活で学んだことは多く

 

  • 挨拶や返事の仕方
  • 掃除や整理整頓の仕方
  • 接客
  • 体調が悪くても仕事する根性
  • 効率の良い仕事の流れ

など仕事の基本を頭と体で学びました。

仕事に対する主体的な姿勢をこの時鍛えられた気がします。

 

学費も生活費も食費も7万円のバイト代で賄う

 

さらには、かなり金欠がやばかった!

まさに売れないお笑い芸人”状態でした笑

 

月のバイト代が7万円くらいだったのですが
学費で5万円
生活費で1万円(電気・ガス代・その他)
食費で1万円
という出費状況で・・・

 

どんなに辛くても、私が短大を卒業するためにはバイトを頑張るしかなかったのです。

幸い短大の学部が”栄養士の養成コース”だったので、時々調理実習があり、そんな日は給食が食べられて助かりました。

 

親も人間

親からの仕送りはありませんでした。

でも、親元から離れたことで、両親を恋しいと想う気持ちが大きくなっていたのです。

 

父親の弱い部分を紹介しましたが、その一方で父は人情味が厚く、仕事熱心な人でした。

私達子供のことを不器用ながらも心配していたし、お酒を飲むと泣き上戸なところもあり、「親でも生きる辛さがあるんだ」と子供ながらに感じていました。

 

そんな父も、今では孫を溺愛するおじいちゃんに変貌し 笑、超早寝早起き生活で70代ですがバリバリと仕事をがんばっています。

 

母親は、そんな一癖ある父から私達を守るべく父と戦ってくれたし、またよく仕事をし、クヨクヨいつまでも悩まない明るい人でした。

 

両親ともおもしろい人達で、父は地元のお祭ではマイクを握って面白おかしく司会をしたりするのです。

 

私は
両親なりの愛情や
親の性格や
親でも生きる辛さがあること
実家から離れて苦学生をする中で、なおさら感じていたので、

苦学生という逆境⇒親への恨み
とは思いませんでした。
“若い時の苦労は買ってでもせよ”
ということわざがありますが
古臭いかもしれないけど
私はよくそのことわざを思い出しながら、自分を励ましていました。

 

 

社長さん達のミラーニューロン

(叔父のお店の料理)

叔父の経営する店は、県内でも有名な中国料理店でした。

会社や学校関係の宴会も多く、夜は沢山のお客さんであふれていました。

お客さんの中には常連さんもいて、叔父が普段から付き合いをしている会社の社長さんや議員さんなどが「◯◯ちゃん」と声を掛けてくれ、親しくなっていきました。

その人達を見ながら、「私とは別世界の人だな~」と思いながらも、すごくキラキラとした世界を近くに見れて、オーラを感じていました。

 

それもあって若かった私は

  • いつか◯◯県の栄養士会会長になろう!
  • 立派な人のお嫁さんになりたい

という夢が短大時代にありました笑

 

管理栄養士試験に一発合格!

 

短大を卒業後、2年間病院に勤務しながら受験資格ができ、難関と言われる管理栄養士の国家試験に見事一発合格しました!!

その時は死ぬ気で勉強しました。
1問1答を自分で1000問以上作って何度も見返したり。

本当は・・・その時、彼氏がいなかったので受験勉強に集中できたのかもしれません笑

 

キャリアを断念した人生の転機

管理栄養士を取った私は、より給料の高い病院へ転職しキャリアを積んでいきました。

しかし・・・
思い描く管理栄養士としてのキャリア人生はその2年後に途絶えます。

職場内恋愛で結婚。

結婚したのは介護福祉士の男性でした。

結婚すると決めたときに、同じ職場にたまたま勤務していた高校の先輩(男)にこう言われました。

「なんで介護士の◯◯くんにしたんだ!?」

その時は「なんでそんな事言うんだろう。ひどいな」と思ったんですが、その後 優しいけど全く向上心のない夫を見て、その言葉を時々思い出すこともありました。

私は結婚する時に『給料が安くても、私も一緒に働いて稼げばいい!』と覚悟したのです。

が・・・

子供が生まれるとそうはいきません。

管理栄養士としてキャリアを積んでいこうと思っていた私の人生は一変し、育児の日々が始まりました。

そして3人の子供ができ、収入のためにパートで働くしかありませんでした。

管理栄養士としてのパートや
全く関係ないジャンルのパートなどいろいろ。

もともと仕事人間なので、パートでも派遣社員でも一生懸命働きました。

すると、辞めた職場や派遣で行っていた職場からも「また働きに来てもらえないか」と連絡があることも何度かありました。

そんな中、ある日パートの私が他の会社と共同で行う大きなプロジェクトの責任者を任されることになったのです。

その時に衝撃を受けたことがあって
別会社の自分と同年代の
『仕事のできる女性』を目の当たりにしたのです!

「すごい!バリバリ仕事やっててかっこいいな~!」

「私は結婚して、何をやってきたんだ・・・」

そう思いました。

時々「管理栄養士の資格を使った仕事をしていないともったいないね~」と言われます。

でも、管理栄養士として働くのは負担が大きく、小さい子供3人を抱えて、勉強もできないし責任も負えないと思って断念していました。

その『できる女性』を見た時に、あらためて自分のキャリアが断念されたことを実感しました。

よく、子供関係で出会うお母さんたちの中にも「この人 仕事できる人だろうな~」と思える女性がいます。

女性は結婚して子供ができると、なかなか自分のスキルを活かしてバリバリ働くことができなくなるのが切ない現実だなと思います。

 

子育てとやりくりと子供のこと

 

子供は3人恵まれました。

私が子供の頃 本を読んでもらって好きになったので、子供にも赤ちゃんのころから読み聞かせをしました。塾や習い事はお金がかかるので、

  • トイレに自作のあいうえお表を貼る
  • 百マス足し算をさせる
  • トイレに勉強の復習のためのプリントを貼る

などなど工夫しました。

やりくりはかなりいろいろやってきました。はまりすぎて『いつか本を出したい』という野望を抱いていた時期もありましたが、今は思いません笑

 

管理栄養士としてキャリアに復帰!

 

さて、結婚してからずっとパートで働いてきた私ですが、

ついに!

子供に手がかからなくなり、『管理栄養士』として正社員で復帰することを決意しました!

長いブランクはありましたが、病院でフルタイムの勤務がスタートしました。

 

女性職場の人間関係

勤務したのは病院の栄養部です。

女性ばかりの職場なので、人間関係がいろいろ大変なのはよくある話しですが

そこは50年以上も長い歴史がある『栄養部』で、こじれた厄介な人間関係を抱えていました。

 

入職してすぐに衝撃を受けたことがありました!

お昼ご飯の時、栄養士も調理員さんもみんなで一緒に休憩室で食べるんですが


こんな暗黙のルールがあったんです!

 

  • 管理栄養士(栄養士)は上座に座る
  • 調理員は勤続年数の順番でぐるっと座る位置が決まっていて
  • 座布団は栄養士と勤続年数の長い人しか使わない。
  • 昼食中は全員正座
  • ベテラン調理員がいる時は、他の調理員は無言
  • 栄養士かベテラン調理員が会話を切り出さないと無言
  • 早く食べてみんなでお弁当箱を洗う

 

 

 

こんな感じで(>_<)

「えらいとこに入職してしまった・・・」と青ざめました。

 

一番長い調理員さんは50年!

私が生まれる前から務めてた!
ヤバイですね笑

 

「なんもいえねぇ~」
そんな風にも思わせる威圧感がありました。

 

このベテラン調理員さんがもちろんドンです。

経験年数が恐ろしく長い調理員さんは、さまざまな妨害を生み出していました。

短い調理員さんの

  • 仕事上の成長を妨げる
  • 作業の効率化を拒否する
  • ストレスの元凶となる
  • 自分のやり方は絶対だと押し付ける

 

注意しますが、勤続50年の根強い意地は変えられず、最終的な退職へのアプローチを病院が下さない限りどうしようもない事でした。

 

「これが女の世界か!」と。

 

私はそんな部署で入職半年後『部長』なってしまったのです。

 

家も忙しかったので正直本当はなりたくありませんでした。

 

それでも給料が激安(手取り14万円台)だったので“部長手当”を期待して引き受けたのですが

 

まさか部長手当が13,000円だとは…

 

 

部長とはいえ、私は基本的に怒鳴って統率を図れない人間だし、その前までは普通にパートとして務めていたので、新人の調理員さんたちの気持ちもわかります。

 

気苦労を抱えるタイプの管理職者でした。

 

管理栄養士部長時代の苦悩

200床近い病院の栄養部の部長としての激務でした。

肩書は“栄養管理部部長”

体制(上下関係)がこちら

  • 栄養管理部 所長(院長のお姉さん)
  • 栄養管理部 部長(私)
  • 管理栄養士 パート(私の前の部長)
  • 管理栄養士 正社員(産休に入る)
  • 調理員14名

合計18名

 

 

栄養管理部長とはいえ、上の状況での部長なので、全ての権限もなく、お伺いをあちこち立ててようやく自分の采配が通るという厳しい立場にありました。

 

勤続年数も管理栄養士の中で一番浅かったし、他3人は病院内にご主人が務めていました。

 

“上手につきあっていく”ことが部長職として円滑な業務遂行には必要だったのです。

ヒューマンスキルがないと女職場の管理職者は叩かれます。

 

一方、そんな仕事の重責があっても、
家に帰れば子供3人分の用事や家事が待っています。

 

毎日がジェットコースターのような忙しさで、心に余裕もない日々を過ごしていました・・・

 

管理栄養士って大変!


管理栄養士(栄養士)の仕事って大変で、あらゆる管理をしないといけません。

  • 給食管理
  • 栄養管理
  • 発注管理
  • 在庫管理
  • 衛生管理
  • 労務管理
  • 他部署との連携
  • 記録・帳票管理
  • 調理機材の管理
  • 調理員の教育

 

 

 

 

管理栄養士も調理員さんも細かい現場の作業工程に、多くの神経と労力を使います。

 

部長としての責任

 

50年以上の歴史がある栄養部には、長年の決まりごとが山程あり、部長になったばかりの私に「先生●●はどうすればいいですか?」という質問が1日に何回もあります。

私はバインダー1冊分ほど、その業務上の決まりごとを全部まとめていきました。

 

 

下の画像がそのバインダーです。
100ページ以上ありますが
このページは『炊飯に関する米の量や炊飯時間、失敗時の対応策、配膳量』など記録しています。

 

 

  • どうしたら煩雑な仕事内容が効率よくなるか
  • どうしたらみんなのストレスが減るか
  • どうしたら見やすいか
  • どうしたら動いてもらえるか
  • どうしたら人間関係の雰囲気をよくできるか

そんな職場の改善点もずっと考えていました。

“わかりやすく”をモットーに!

私が入職してすぐ変えたことがありました。

調味料の砂糖と塩を入れた容器があって、それが同じ形、同じ色だったのです。

その容器にはラベルもなく、
『砂糖』『塩』と書いてない!

当然ですが、蓋を開けても白色なのでわかりにくいのです。

私はベテラン調理員さんに聞きました。

「これって何も書いてないから、間違えやすいですよね?」

するとベテラン調理員さんはいいました。

「私たちは慣れてるから、容器の感じでわかりますよ」

 

そうですか・・・

どうやら容器の置き場所や、容器のちょっとした傷なんかで見分けているそうでした。

 

でも、急いでいる時や、まだ慣れていない人もいるし、『砂糖』『塩』と書いてあればパッと見てわかりますよね。

 

『容器の感じ』だけで見分けるのは“大きなリスク”です。

 

幸いその職場は、管理栄養士は新人でも「先生 先生」といって大事に扱われるので、その職権を使って言いました!

「これ、砂糖と塩ってフタに書いていいですか?」

ここで大事なのは許可をしっかり取ることです。特に女性の職場は。

 

私はその時の部長さんや、ベテラン調理員さんに許可をとり、晴れて『砂糖』『塩』とマジックで書くことができました♪

でっかい字で!笑

 

すると!

なんと50年のベテランの調理員さんがこういったのです。

「◯◯先生これならわかりやすいですね~」

 

そして勤続10年くらいの中堅の調理員さんたちも、

「よかった~!私達じゃあ書けないし、これだと間違えないですね」

 

よかった!!

 

私はこの経験からさらに調子にのって、いろんなことを変えていきました。

上手に立ち回って許可もとりながら^^

 

とにかく給食調理現場は複雑で、その中で正確さとスピードが必要な現場なので、わかりやすさ!が大事なのです。

 

 

栄養部部長になってから負担が激増!

 

 

入職して6ヶ月後に“栄養管理部の部長”になってから、仕事の負担が一気に増えました。

 

普通に部長職だけをこなしていけば、もっと楽に過ごせたのかもしれないし、前の部長さんみたいに、ガンガン怒鳴って調理員を指導すれば統率はとれやすいのかもしれません。

でも私にはどちらもできなくて・・・

毎日いろいろ考えていました。

栄養士も産休などで4人から2人に。
しかももうひとりはパートの管理栄養士さん(5時間勤務)でした。

病院の会議や委員会が月8種類、月10回以上も出席しないといけなかった時期もあり、まじでブチ切れそうでした。

 

小さい病院でもなく
病床数は200床
平日の昼食は240食も作っていました。

 

その状況の中
手取り月収が15万円だったのです!

 

給料は月収15万円

 

神経をすり減らして働いているけど給料が激安・・・

 

このままならいくらやりくりをしても生活が楽になることはないんじゃないかと。

 

この先の生活に明るい希望は見えませんでした。

 

私は家でも『やることタスク』をいっぱい頭の中にため込んでいて、その上に息抜きが下手で・・・

 

そんな自分の性格も原因で精神的にもいっぱいいっぱいになっていました。

 

いや、当初は覚悟をもって管理栄養士として復帰し、18人ほどが所属する部署の部長にもしていただいたのですが・・・

業務負担を始め、精神的・肉体的な負担も大きい上の対価が手取りの15万円・・・

 

部署長でない時期は、もっと低く手取りが14万円台でした。

 

部長を辞退したら14万円になるのです。

まさにやってられない状況でした。

 

同じ病院内でも夜勤手当のあるケアワーカーさんより低い給料だったのです。

 

 

短大卒業後に新卒栄養士としてもらった初月給と同じ金額だったのです。

 

心身ともに疲労がたまり、もう限界に達する日もあって、このままではいつもでも精神的に余裕のある生活はできないと、なにかモヤモヤした感情のまま日々乗り切っていました。

 

それでも前向きに努力を続ける

でも、この病院で管理栄養士の仕事が評価されれば、給料を上げてもらえるかもしれない!!

 

「個人栄養指導や集団栄養指導などで加算をとれば、病院の収入も増えるだろうし、給料交渉しよう」と思いました。

 

そう思った私は、その日から毎朝5時に起きて管理栄養士の業務に関する勉強を始めました。

 

毎朝毎朝5時に起床して管理栄養士の勉強をし、お弁当を作り、朝の8時に家を出るという生活がどうにか習慣化されてきました。

 

その時に勉強したノートが2冊あります。

自分でも学生の時に味わった『知的好奇心が満たされる快感』があり、勉強も仕事も楽しくなってきました。

 

 

運命の試練“熊本地震”

 

前向きに早朝の勉強を初めた半年後、

まさかの出来事が起こったのです。

2016年4月14日
熊本地震

すべての状況が一変しました!

なんとなく恐れていたことが現実となったのです。


どこを見ても地獄絵図のような状態になりました。

幸い前年に新築していた自宅には被害がなかったのですが、職場の病院は震源地に近かったため大きな被害が出たのです。


熊本地震の対応で仕事がさらに忙しくなっていきました。

しかも、地震直前に栄養士が4人から2人に減って大変な状況になっていた時期に、この熊本地震が起こりました・・・

 

通常の業務に加え、地震で起こった被害の対応が加わり、体力も気力もますます疲労していきました。

 

調理員も自宅が大きな被害にあわれた方が多く、さらに業務は過酷になり、ストレスも抱えた調理員の人間関係がさらにギスギスしてきました。

 

みんなが低い給料で仕事や人間関係に苦しめられて働いていたのです。

 

思い切って給料交渉してみた

私は毎日必死で業務をこなしていきましたが給料は月収15万で、
何度も自問自答した末に

ある日ついに行動を起こしたのです!

 

私は、事務長に給料面を訴えに行きました。

 

すると

事務長「◯◯先生が忙しいのはわかっていました。自分では判断できないので上と相談してまた返事をします」と。

 

『わかってはいました』と言われたので、期待をしてみることにしました。

 

数日後の返事は

事務長「仕事内容と報酬があっていない部署の職員がいるのは認識しています。ですが給料を簡単には変えられないので」と。

 

そして出された答えは

事務長「産休中の管理栄養士が復帰するまで月1万円追加支給します。」でした。

 

この答えではっきりと決心できました。

「いくら管理栄養士として実績をだし病院に貢献しても、この病院じゃあ給料は上がらないな」と。

本当に大変な仕事環境だった時にこの回答だったので。

 

これは身の振り方を考えないといけないと、

私の中の核となるものがこの瞬間から大きく変わっていきました。

 

職場環境の改善に奮闘するも・・・

調理員さんの環境を改善するためにも日々試行錯誤していました。

 

私の給料(月15万)が安いのは言いましたが、もちろん調理員さんたちはもっと安かったのです。

 

  • 安い給料の中で激しい上下関係
  • 厳しい衛生管理
  • 細かい個人対応による調理・配膳の煩雑さ
  • ミスが起こるたびに増えていったマニュアル。。。

 

そして熊本地震の被災者でもあった職員たち。

 

私の職権を使って変えられるものは変えていきましたが、長い歴史やしがらみがあって変えられないことも多かったのです・・・

 

調理員さんたちは他に転職するという道もなく、必死に日々頑張られていました。

 

理不尽な職場の対応

ある時の話ですが

調理員さん14人の中で熊本地震の時に自宅が『大規模半壊』の被害にあわれた方が2人いらっしゃいました。

 

被害のレベル

  1. 全壊(倒壊)
  2. 大規模半壊
  3. 半壊
  4. 一部損壊

 

大規模半壊はほぼ『全壊』と同じで住める家ではなく、仮設住宅や実家に避難されていました。

 

その調理員さんが部長の私にこうお願いされたのです。

「今 実家に避難していて、通勤距離が倍近くなったので、ガソリン代も負担が大きくて。交通費を計算しなおしてもらえないでしょうか?」と。

 

通常、交通費は微々たるものかもしれません。
通勤距離を計算し直しても数百円~1000円程度の増額ですが、調理員さん達にとっては大きな金額だったのです。

 

しかも災害給付金では到底足りない家の再建築という試練を背負われていました。

 

私は早速 事務長補佐のところにお願いに行ったのですが、数日後の回答で、「住所が変わらなければ対応できないし、1人だけ認めるわけにはいかない」と言われました。

 

ムカーーー!!

 

決まり事はあるかもしれないけど、状況判断して特別にそういう人は対応してあげられないものかと!

 

何やってるかわからないのに高い給料をもらっている職員がいることは知っていたので、余計に腹が立ったのです。

 

その方は勤続20年くらいのけっこうベテランの調理員さんだったし、本当に給料が安いのに、黙々と真面目にがんばっている人だったのでますます気の毒でした。

 

会議で、その話が出た時に、病院の経営者家族は状況を察して「前向きに対応してあげてください」と言っていただけたのに、事務の許可が最終的におりなかったのです。

 

 

のちに私はある会議中に調理員さんの厳しい現状を訴えました。

 

覚悟を決めていたし興奮していたので『給料が見合っていません』とも言いました。

 

ストレスチェックの結果は最悪

2015年から始まった厚労省の『従業員へのストレスチェック』

私の病院でも全職員を対象に行われ、その結果が出ました。

労働安全委員会に出席したある日、ストレスチェックの“部署別の結果”が発表されたのです。

 

病院には9つほどの部署があったのですが・・・

 

私の『栄養部』は他部署を大きく引き離してストレスレベルが異常なほど高かったのです!

 

やっぱり・・・

私は会議中にもかかわらず涙がこらえきれませんでした・・・

もう精神的にも限界がきていました。

 

長年ミスが起こるたびに増えていったマニュアルや、長年続いてきた人間関係のこじれ・・・
どうしても自分では変えられない現状もあったし、みんなの様子を見てきただけに、自分の力量が及ばないことの悔しさでいっぱいになりました。

 

 

 

退職を決意する

 

 

 

もともと私は仕事人間な性格でもあり、120%の力で働き、クタクタになって家に帰れば家事もあります。

 

子供の部活や学校の役員の事もあり、プライベートでも忙しくしていました。

 

仕事が休みの日、半日くらいかけて家の掃除や用事をしているとモヤモヤした気持ちが膨らんでくるのです。

35年の住宅ローンにはどれだけの利子を無駄に払っていくのか・・・
今後も増えていく教育費を払っていけるのか・・・

 

 

仕事も家の事もで頭がいっぱいいっぱいの状態・・・

 

給料がもう少し高ければ我慢できたし、部長じゃなかったらやりきれていたかもしれません。

しかし

月収15万ではずっと生活は苦しいまま…
自分がやりたいことも、どんなパフォーマンスもできない

これから先もずっと・・・

 

運命は切り開けないのか?

人は先天的にもった自らではどうしようも変えられない宿命があります。

  • 幼少期の家庭環境
  • 実家の経済的事情
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など。

 

どんな逆境をもって生まれたとしても

後天的な努力によって報われてもいいはず!!

 

私は子供時代から結婚後もずっと本を読むのが好きで、いろんな知識や世界観が広がることをすごく楽しいと感じていました。

本で得た知識と、これまでの自分の経験もかけあわせて『役に立つ情報』を世間に提供し、それでお金を稼げることができたらいいな~と、漠然と思っていました。

 

そして自分には何かできそうだという“根拠のない自信”もありました。

 

しかし、人生を切り開く手段がわからない。。。

 

”高い意識を持ちアドバイスしてくれるような人”とのつきあいもありませんでした。

 

 

これまでずっと、どんな逆境でもがんばって前向きに生きようとストイックにやってきたけど、そんな自分の願望は叶いそうにもなく

日々の生活で、例えば、「美味しいものを食べたり、服を買ったり…」というような身近なことで叶うものでもなく、心から楽しいとも思えない・・・

何か満たされない感情があり、その行き場のない思いを抱えながら悶々と年月が経っていき

「自分は相当“変人”なんだろうか・・・」

という結論を出してあきらめかけていました。

 

仕事と日常に追われて心身ともに行き詰っていたとき、
「このベランダから飛び降りたら、楽になれるかな…」

何度かそう考えた夜がありました。

 

アフィリエイトに人生を掛ける!

私はもやもやとした感情の中でこんな希望を持ち始めました。

 

「がんばった分報酬が発生して、自宅で稼げないかな。」


私がこの先生きていく上で、在宅ワークができれば夢のようなことだなと思ったのです。

いろんな在宅ワークを調べていた中で、以前アフィリエイトをやって挫折した経験がありました。

 

 

そしてついに退職を決意した時から、「本気で人生をかけてやろう!」と覚悟したのが

以前やっていたアフィリエイトです!

 

 

強い決意と勇気を持って、アフィリエイトへの挑が始まりました!
私はいろいろ調べた結果、初心者でも一番稼ぎやすいのは『トレンドアフィリエイト』だと知り、有名な教材
“下克上”を購入しました。

 

2017年2月からは、下克上∞のコミュニティである“TMC”にも参加しました。

 

昼は管理栄養士として働き
朝夕は主婦として家事をし
夜中などの自由になる時間全てを使って
アフィリエイト実践の日々がスタートしました。

人生をかけた挑戦です!

 

 

ですが…最初はやってもやっても稼げなくて、先が見えず不安でしたが「人生を変えたい!」という大きな覚悟があったので必死にがんばりました。

 

すると、

だんだん稼げるようになってきたのです!!

 

副業でアフィリエイトを開始して半年後

報酬額が104,839円に!
(2017年5月)

 

 

その翌月は
229,069円
という報酬を達成したのです!!

 

 

 

そして2017年5月に退職し、私にとっては脱サラというよりも念願の“在宅ワーク”が実現したことが夢のようでした。

 

失敗すれば家族にも迷惑がかかるということもあり、良くも悪くも“危機感MAX”でガムシャラに取り組みました!

 

理解者は必ずいる!何をするにも大事なことは

 

私が退職するとき、栄養部の皆さんが惜しんで下さいました。

そして一番思い出に残っている出来事があります。

私が退職するという話を聞いた病棟のケアワーカーさんが
「◯◯先生辞めるんですね。私達ワーカーは話も聞いてたし、◯◯先生がよか人ね~って思ってたから、残念です…」と言ってくださったのです。

 

退職を決意し自暴自棄になっていた時期だったので、「奮闘してきた事をわかってくれる人はいるんだな~」と思うと、本当にうれしかったです。

 

大きな組織だと努力や対価報酬は認められにくいけど、わかってくれる人にわかってもらえればいいから、
やっぱり”心持ち”をちゃんとしておこう!と思いました。

 

この心持ちとか誠実性は、どんな仕事であっても大事にしておけば、必ず幸運へ導かれていくと実感しています。

私もまだまだですが、人への想像力を意識して働かせていると、周りも本当によくしてくれるようになって、助けてもらえたり、ビジネスセンスもついてきます。

 

セールステクニックを上達させるというより、
他者への想像力
つまり、“思いやり”というものが、ビジネスを長く安定的に成功させてくれます。

もうセールステクニックだけで物が売れる時代は終わりつつあるからです。

 

辛い時期を乗り越えて

 

最初は作業のわりに結果が出ない辛い時期もあり
時にはパソコンの前で泣くことも(TT)
しかし、それでも自分を励ましながら手を止めないで実践を続けていく

 

2017年10月には最高報酬をさらに更新!
月収54万円を達成。

 

 

 

いつの間にか人生が変わっていた!


えばの実績

私のアフィリエイト報酬推移になります。


『えば』の報酬推移

1ヶ月目 2,502円

2ヶ月目 4,280円

3ヶ月目 17,427円

4ヶ月目 33,400円

5ヶ月目 70,354円

6ヶ月目 39,293円

7ヶ月目 37,333円

8ヶ月目  104,839円

9ヶ月目 232,131円

1年後  253,841円

1年1ヶ月 540,752円

1年2ヶ月 282,232円

1年3ヶ月 239,763円

1年4ヶ月 290,339円

1年半後 280,424円

1年7ヶ月 272,173円

1年8ヶ月 260,221円

1年9ヶ月 221,972円

1年10ヶ月 254,980円

1年11ヶ月 316,217円

2年後 593,676円(最高月収)

2年1ヶ月 366,395円

 

2018年7月には下克上のアフィリエイトのコミュニティにて、セミナー講師をしました。

その時の実際の画像です。

 
大きなセミナーの講師を経験したことで更にノウハウが自分に定着し、そのセミナーの2ヶ月後さらに最高月収を更新。

月収59万円達成したのです!!

 

 

私がサラリーマン時代の月収は15万円

覚悟を決めて新しいことに挑戦したことで、約4倍の月収を出せるようになったのです。

 

「知っている」あなたの人生は変えられます!

 

人生はどんな環境の中でも前向きに挑戦していけば、きっと切り開かれます。

 

私の場合、結婚して子供ができてキャリアは断念し、主婦として節約やパート勤務など必死にやってきました。現状そうするしかないと思っていたのです。

 

しかし『そうするしかない』ことはなく、自分さえ“人生を好転させたい!”という強い思いがあれば、別の道があったのでした。

 

知らないことが一番悲劇だと思います。

 

知るべきこととは

“人生を切り開く手段”がある!

ということです。

 

アフィリエイトというその手段を、過去の自分にもっと早く教えてあげたいです。 

 

挑戦する勇気を持てば未来は変えられる!

 

人生が変わった今、私は自信を持って誰かに伝えたいです。

 

 

 

私がいつも抱いていたモヤモヤした感情は、主婦として節約したり、日々まじめに黙々と忙しい仕事や子育てをがんばるだけでは解決しなかった。

 

“自分で稼ぎ出すスキル”を身につければ、これまで我慢していたことが全部解決し、

先天的に自らでは変えられない逆境も、
後天的な自分の努力によって報われたのです!

 

アフィリエイトは、私のように本業にしなくても、副業なら給料とは別にお金入ってくるので、そうなれば今まで見えてなかった世界観や気持ちの余裕が生まれます。

「とても簡単です」
「すぐに大きく稼げます」
とは言えません。

しかし、本当に私のように主婦でも、夢が叶う仕事です。
私は現在個人事業主としてアフィリエイトというビジネスをしているのですが、

他のビジネスと比較しても

  • 始めるのにお金もほとんどかからない
  • パソコンとWIFI環境と正しい教材があればいい
  • ビジネスでもリスクがとても低い
  • でも報酬の可能性は無限に高い!

というとても始めるのが簡単にできるビジネスです。

 

過去の私と同じように、必死に毎日がんばっている方におすすめしたいです!

“がんばりが報われる手段”があることを知り、挑戦すれば変えられると!

 

長文を読んでいただき、ありがとうございました!!

m(._.)m

えば

 

アフィリエイトについてはこちらの記事で詳しく紹介しています

最後までご覧いただきありがとうございます!

えば
 
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